阪神淡路大震災から27年ですね
この記事を書いている日は16日の23時、前日の噴火による津波で、4時間の睡眠しか取れていない過労状態で書いているので、文章がおかしい事になっていると思いますが、いつもの事なので諦めてください。
27年ですね〜こんなになりましたねーこんなんが改善されましたね〜っていう話はしないです。まぁトリアージ制度が始まったとか某日本のマフィアが給仕をしていて海外のメディアに取り入れられたとかありますけどもね。
じゃあ今回は何について書くのかというと「itioka3_10の家族による震災当時の話」をちょくちょく聞いていたので書いておこうかなって思います。
当時、家は肉屋さんを営んでいてコンクリ造り、比較的新しい物件でした。家は1Fに業務用の大型冷蔵庫が置いてありそれが大きな柱となったみたいで、ヒビが入った程度みたいです。
発震後家族は飛び起きて互いに安否を確認してラジオで情報を入手していたそうです。(タンスはコタツに倒れ掛かりここで寝てたら死んでたなぁと)
その後「すぐに」避難しなかったそうです。(おじいちゃんの判断:曰く家開けたら泥棒入られるやろ)
長田や垂水では火災が印象的ですが火災はここにも発生していて運よく数軒前で延焼が止まっただとか
家は川に近かったので水を汲めとの指示、浴槽に貯めておいて生活用水(トイレ等)に使っていたそう。
家が全壊した近所の人(1世帯)にテントを貸出して、幸いにも電気は生きていたらしく延長コードを使ってお裾分けしたらしい。請求額がウン十万行ってて関電さんに怒られただとか「お金取りなさいよ」って。多分ウチが支払ってあげたんでしょうかね。
山が好きな人だったからテントとかあるみたい。趣味によって災害に強くなる
あとはロウソクが重宝したって。暖と灯りの2役だそう。なので実はロウソクを推しています。入れるべき
聞けば聞く程逸話が出てきて勉強になったりするんですよね〜ホント凄い人だと思う
そんな感じで逸話つらつら思い出す文字列でした。 僕はちょっと数十万の請求に耐えれるか分からないけど発電機でお裾分けできるようにはしたいですね(笑)
今年入った辺りから急激に意欲が高まって発電機欲しい〜ポータブル電源欲しい〜とか思っていますね。
そんな物欲と共に今あるもので解決に導く力とかも備えとかないとダメですよね〜。モノは簡単に流されるし壊れる。技量は盗まれないし壊れない、忘れる事があっても十分思い出す事で復帰できる可能性がありますからね。
おじいちゃんのように的確に指示して近所や地域の人を助けれるようになれたらいいですね(遠い目)
冒頭に何変わったか書かねぇとか言ってるけどちょっと纏めさせてね
烏帽子中学校の2号線を挟んだ向かい側のエリア「琵琶町」では元々道が狭かったのだが、瓦礫によって緊急車両の通行が不可能だった
→区画整理によって瓦礫があっても端に寄せたら通行が可能な程の道を確保
震災の殆どが圧死・窒息死によるものだった→耐震基準の強化とか
これ以上パッと思いつかないや
災害を風化させない事はもちろんのこと、経験してきた人から沢山話を聞くことは知識として何れ役に立つので大事だと思います。
次は僕の誕生日の翌日ですかね?
当時の津波注警報発表マップは邪魔だなぁと思ってコロコロch変えていたり父親が大丈夫なのかなって少し心配していた記憶があります(東京にいると思っていた・当時の所在地不明) 小学1年生ですか?その頃の僕には難しい話ですね
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